2017年3月14日火曜日

第5回 古河はなももマラソン 2017

 3/11日(土)マラソン前日
 鉄女ママの車に皆と乗り合わせて古河へ移動する。途中、震災のあの日あの時間、何をしていたかという話題が上る。
 ーあれから6年。
 あの日、僕は会社の定例会議に出席しており、突如の強い揺れに会議は中断、避難階段を使って、建物の外へ出たことを真っ先に想い出す。
 そして、その後まもなく被災した現地を訪れ、呆然としたことを忘れることができない。
 寸断されたアスファルト道、陸に打ち上げられた漁船、横転する自動車…。とてつもなく巨大な力に蹂躙され、変わり果てた風景が眼前に広がっていた。

 その年の秋、僕は初めてフルマラソンに出走した。10kmしか経験したことがないのに、一足飛びの挑戦だった。どうしてそう選択したのかは、ハッキリと覚えていない。ただ当時は最初で最後、一生の想い出の一つとして参加しよう、そんな気持ちだった。震災を境にスポーツをする人口が増加した、というニュースを聞いた記憶がこの頃のものとしてあるが、僕も本能的にある種の衝動に駆られた一人だったのかもしれない。
 そうして今、僕はフルマラソン参加のために古河へ訪れている。フルはこれで15度目、はなももマラソンには3度目の参加だ。
 6年前の僕には、この未来はまったく予測できなかった。エンデュランススポーツのきっかけは震災とは言わないが、あらためて思い起こすと少なからず影響をもたらした可能性はあるのかもしれない。

  さて、今回フルを走るのは、ヒグマサさん、ゆーサーモンさん、ブリ男さん、F井さん、A木さんといった我が走友会の精鋭達で、さらに鉄女ママがスーパーサポーターとして応援に回るというオプションが付いていた。
  彼らの背中を追いかけるには及ばない。僕は僕で気負わずに計画通りレースを運び、後半上げる、いわゆるネガティブ走を理想としave4:50/kmで完走することが目標だ。
 昨年は2度フルマラソンを走ったが、いずれも3時間半を切ることができなかった。その結果を踏まえ、シーズンオフからスピード回復の練習に努め、尚且つこれまでのラントレに対する概念を改める取り組みを行った。
 強度の低い練習を削減し、距離を踏むよりもスピードを上げ質を高める。これを拠り所に、速く走るための身体の使い方、フォームやテクニックに注視した。
 このはなももは、ここまでの、そしてこれからのトレーニングを考察する上での力試しのようなもの。あわよくば次の佐渡トキマラソンでPBを更新できればという狙いもあるが、まずここを目標通りこなしモチベーションを維持することが最大の課題だった。


 3/12(日)当日
 レーススタート1分前。
 両手で鼻と口を覆うようにして目を閉じた。スタート前の静謐のなか、集中力を高める。
 オンユアマーク!の声のあと号砲が鳴り、レースの開始が告げられる。
 ゲートをくぐったのは号砲から1分以上過ぎたあと、なかなかの混雑ぶり。時計をチラチラ見ながら行く手を捌き入りの1kmは4:48。1,2km進めば、ある程度ばらけて、走るスペースに余裕が出来るものだが、今回は参加人数の増加からかしばらくの間、何かとプレッシャーを受け、窮屈になることが少なくはなかった。年々、開催するごとに人気が高まっているのかもしれない。
(5km通過23:59)

  目標通りにタイムを刻んでいるつもりなのだが、後方から絶えず追い抜かれていると、なんとも言いがたい不安に駆られ、時計を確かめずにはいられなくなる。ペースは目標よりわずかに上回っていた。が、しかし実は、時計が壊れていて5:30/kmぐらいじゃないかと、あらぬ妄想まで抱いてしまう。それぐらい10km、いや12,3km辺りまでは抜かれに抜かれまくった。関東のマラソン大会のレベルの高さなのか、新潟のそれとは質量共に明らかに異なっている。
(10km通過47:59)

 キロ通過ごとにラップに目を配る。上回ることもあれば、そうでないときもあった。じっくりとペースキープする。
 似たペースのランナーの密度が高いせいか、ハーフまで2つのエイドを飛ばしてしまった。お目当てのスポドリが準備されていなかったり、明らかに混雑しているのがわかり、不用意に近づくことを避けた。その代わりに12kmあたりから携帯していたジェルをちびちび舐めながら進んだ。
(15km 通過1:11:51, ハーフ通過 1:41:16)

 ハーフまでの目標が1時間41分台。概ねクリアしていることを確かめて安堵する。そして、ここからが勝負の始まりだった。実はこのレースに至るまで、ハーフ以上のペース走をやっておらず、それに関しては一抹の不安があった。無論、やっているからと言って担保されているわけではないけれど。いずれにせよ、ハーフ以降、どこかで大崩れする可能性がないわけではなく、ことのほか慎重にならざるを得なかった。
 このあたりのコースは、広い2車線の直線道路で、なだらかにうねっている。コースの上りでかかる時間は下りで相殺する、そんな単純なマネジメントでとにかく焦らず、リラックスして走る。23kmあたりで再びジェル補給をして、頑張り過ぎないように30kmを目指した。
(30km2:24:17)

 30kmは25分以内で通過。最悪今回これでダメになっても、30km走としては十分に価値のある内容だと思った。
 残り12km。残りの距離のカウントダウンが脳内ではじまる。できればペースを上げたい。やや落ち気味だったので腰を上げフォームを正す。長距離の練習不足からか四頭筋に疲れを感じ、脚が棒のようになるような感覚があった。
  腰を落とすな!頑張る前にまず腰を上げろ!と、僕のやっていることを、まるで言い当てるような言葉を後方から耳にする。言葉を発する男性ランナーの伴走者に対しての叱咤だった。
 言っていることには激しく同意するが、周囲に遠慮せず大きな声を張り上げているので、あまり感心はできなかった。そうして彼らは悪くないペースで僕を追い抜いて行った。

 32km過ぎ、このマラソンコースの「おへそ」のような交差点で4度目の左折をすると、2車線の広い道路に出て、行き先が見渡せるほどに視界が拓ける。ここでペースを少しでも上げてみようとピッチに気を配った。前半追い越された分、ここで存分に抜いてやろうと野心を燃やし、ランナーの背中を捕らえることをモチベーションに距離を消化する。気になっていた四頭筋は酷いことにはならず踏みとどまってくれていたのが救いだった。

 走ることに集中する。眼に映る光景と自分の息遣いが世界を占める。
 背中、腰、脚の上がり具合、歩様、腕振り、息遣い、視線、反芻するように意識を向ける。
 気がつくと、先程の叱咤ランナーズが横に現れる。
 心が折れないように頑張れ!心が折れたら負けだ!と、あいかわらず一方が大きな声でまくしたてていた。しかし、言われている方は顎が上がり、動きが緩慢なっていた。見るからに苦しそうだ。ここまでくると理性に働きかけるより本能だ。僕は真っ直ぐ前を向き、少しの上りのなるコースの頂上へ向かって脚を上げた。
(35km2:48:44)

 37km地点、コース沿道に立つ鉄女ママを見た瞬間、彼女の名前を呼び、左手で合図した。通り間際で補給を貰い受ける。ナイスラン!の彼女の声が僕の背中を押す。
 残り5km。飲み干したコーラの紙コップを握り締め、再びペースアップを目論む。
 1km毎の積み重ね、一歩一歩の積み重ね。速いペースのランナーに取り付こうと前へ進む。余力はあった。頑張れそう。その気持ちに併せるかのようにザードの「負けないで」が沿道で流れ、サビのフレーズが胸に響いた。

  ラスト1km。古河中央運動公園に入り、園内からトラックのある競技場を目指す。競技場の門扉を通過し、トラックを左廻りに進むとフィニッシュゲートだ。
 僕はゲートに飛び込み、計測マットの上を通過。脚を止め、回れ右をして一礼した。あっという間の3時間半だった。(了)
(フィニッシュ3:23:29)

(追記)
 帰路の古河駅で、初めて花咲くはなももの木を見つけることが出来た。ついに念願のサブ3を達成したブリ男さん、おめでとうございます!F井さんの3度目のサブ3、他のメンバーらも自己ベストラッシュで本当にすばらしい結果。
 こうなると鉄女ママのサポート力は誰も疑う余地はありませんね。
はなももの花(JR古河駅にて)

2 件のコメント:

ファイターズ さんのコメント...

PBおめでとうございます。
いよいよ20分切り間近ですね~。そしてさらに上を狙ってください。
今回、みなさんからよい刺激をいただきましたの、私も私なりにがんばっていこうと思ってます。(^0^)/

Cyguns さんのコメント...

ファイターズさんへのお返事です。
ありがとうございます。今回は計画通りしっかり最後まで走れたことが何よりです。
新潟ハーフ、佐渡トキでご一緒しましょう。