2016年10月11日火曜日

新潟シティマラソン2016のこと

 今年も雨模様の大会となった。6度目の出走となるが半分はそんな天候だ。
 家を出るときは土砂降りだったけれどスタートの頃には殆ど止んでいた。予報通りといえばそれまでだが、大会に関わる全ての人々の願いが天に通じたということにしたい。

 陸上競技場のスタート地点に向かう途中でヒグマサさんに声を掛けられ、ゆーサーモンさん、それとTAKEさんとお会いすることができた。互いの近況を報告しながら、今日の調子をそれぞれの走破目標になぞらえ合った。
 僕はこれで通算13度目のフルマラソン出走となる。回数だけは充分に積んで入るけれど、やってみないとわからないことが少なくはない。ただレースに向けた練習量と当日のコンディション(体調や天候)を鑑みれば、多少の誤差はあるものの、概ねの走破タイムは見積れるようになった。無論、自分の実力に照らして、そうなるようにレースを組み立るとも言えるのだけれど。
 今回の理想タイムは3時間半切り、実際はちょっと及ばないぐらい。35km以降が鍵を握る。結果はどうあれ、少なくとも次走の大阪に繋げられるレースにはしたいと考えていた。

 定刻スタート。
 ところどころで渋滞した割に、入りの1kmは5分20秒。悪くない。恒例となったコースを走りながら息を整える。萬代橋、ビルボ、信濃川の沿道、県庁敷地内。次回からコースが刷新されると聴いているので、ひょっとすると、この風景はこれで見納めになるにかもしれないなぁ、そんなことを考えながらコースを進む。
 序盤は省エネ走法、肩甲骨を軽く寄せ、上半身を使いながら四頭筋を温存、脚に負担を掛けないように走る。実のところ、金曜の夕方、土曜の朝と立て続けに走ったことで両脚に疲れが出ていた。かの小出先生の言うところの「重い脚」は出来たのだが、重すぎる感は否めない。走りながら直前の練習を少し控えるべきだったと反省。けれど反面、そうせざる得ない理由もあったので、致し方なしと諦めながらも、この経験はいずれどこかで生かしたいと思う。

 千歳大橋から関屋大橋の間で、突如、聞き覚えのあるバリトンボイスで名前を呼ばれる。不意に沿道の方に顔を向けると、紅いポンチョを着たハジメちゃんがいた。
 あまりにも不意だったのでリアクションが薄かったと思うが、申し訳ない。この場で謝っておく。一瞬、垣間見た君の姿は、紅いテルテル坊主のようで、走りながらしばらくニヤニヤしまったよ。声援ありがとう。

 10km地点の通過は50分40秒。だいたい予定通り。5km以降のラップが少し速い。あまり気にせず、そのまま浜浦の商店街を進む。
 最初のスポンジエイドで、水をたっぷり含んだスポンジを1つ右手に握りしめた。ゆーサーモンさんのいうところのゴルフグリップを完成させる。スポンジは何かと便利なので持って走るのが常だ。ただ今日は雨だから出番は少ないように思ったが、手持ち無沙汰になるのが嫌なのでいつものようにした。
 小さな坂を上ると海岸線にぶつかるまで下る。これも恒例なのだがこの下りは二アリー全力走。身体と心にひと刺激入れ、海をトレースする区間へと出た。

 海岸線はアスファルトに視線を落とし黙々と走った。濡れたアスファルトには、前を走るランナーの後ろ姿が鏡のように映り込み、それを追いかけるのが僕の仕事になる。
 それから時計を確認するのをやめた。気持ちペースの速い今のまま、気分良く進もうと思ったからだ。もちろん不安がないわけではないが、自分の調子を信じることにした。

 この往路でちょっとした事件が起こる。それは確か19kmあたりのこと。左手舗道に設置されたトイレから出てきたランナーが、歩道からコースへ出ようとした時に、恐らく歩道の縁石に足を取られたようで、つまずき倒れながら僕の足元に突っ込んできたのだ。
 実はその時だけ顔をあげていて、彼の挙動の一部始終を見ていたので、真横から突っ込んでくることが予測でき、わずかに接触しながらも間一髪で交わすことが出来た。が、あの転倒に巻き込まれていたら、間違いなく佐渡トラの二の舞になっていただろう。本気でヒヤリとした瞬間だった。思わず、ワーッと大声を出しちゃったしね。
 相変わらず神様は、僕をお試しになられるようだ。僕は無事だったが、あのランナーさんは大丈夫だったのだろうか。相当な勢いで転倒したので、きっと無傷では済まなかっただろう。

 20km通過は1時間40分とちょい。マズマズだった。
 折り返し以降もアスファルトに視線を落とし黙々と走った。そして新川を過ぎた頃、少し疲れを感じる。上半身の型が解けその度にフォームを修正した。両脚の四頭筋にもダルさがあった。脚がつっぱり棒のようになり、地面からの反発力を上手に受けることが出来なくなる。
 疲れるのがちょっと早い。練習不足があらわになった。気のせい、気のせいと自分に言い聞かせながら2度目のエネルギー補給。
 疲れとはエネルギー不足から生じる脳の保身の偽りの情報なのだ。ゆっくりと何度にも分けてマルトデキストリンのジェルを口へ運ぶ。そうすることで脳を騙し、黙らせる。去年のことを想い出しながら(30kmで心が折れたこと)脚をしっかり動かすことに意識を傾け、走ることに集中した。
 常々想うことであるが、シティの12km以降、このほぼ平坦の海岸線の往復は、無心で走り抜けることがポイントだと思う。距離に置き換えると20km弱。この区間をペースを乱すこなく坦々と進めることが肝要で、後半に備えることが出来るのである。

 30kmは2時間30分と数秒。おー、すばらしい!と思わず自賛。さぁ残り12km。目標ではここからペースを上げていかねばならないが…、脚がイケナイ。現状維持がやっとだった。
 青山斎場の坂を下り、左折する間際に「豊栄走友会、ファイトー!」と声援を頂き、やる気が起こる。そして関屋分水橋が眼前に見えた瞬間、海からは派手な向かい風。あちゃー、こりゃ想定外。風とケンカしないように小さくなって橋を渡る。脚の疲労感が次第に増していく。もう僕の言う事を聴いてくれそうになく、少しペースは落ちた。
 タコ公園、市営プール、青陵大、マリンピア。この道中、何を考えていたか今となっては思い出すことは出来ない。ただこの区間でファイターズさんを捉え、あっさりと抜き返されてしまったことは良く覚えている。彼の背中を見ながら進むことで走ることに集中できたのは間違いない。ファイターズさんに感謝である。

 37km地点、ようやく港トンネル、タワーが現れた。
 タワー手前の交差点ではゲストの高橋尚子さんがランナーに激励のタッチを交わしている。めちゃくちゃ疲れていたけれど、彼女を見て満面の笑みが浮ぶ。僕も御多分に漏れずタッチしてもらう。彼女とのタッチは通算するともう何度目になるだろうか。
 沿道から「豊栄走友会ファイトー、頼んだぞー」と、応援というより、檄が飛ぶ。缶々おじさんだった。彼もまた恒例であり、いつも応援をいただいているのであった。

 歴史博物館の手間、左に折れるホンのわずかな坂が激坂に思えた。それぐらい両脚はすでに棒きっれと化し、ヘロヘロになってヨチヨチと進んでいると目の前には美女2名が。ペコわとさんにH澤さんだ。
「すぐ前にファイターズさんがいるよー、頑張れー」と言われたが、「ムリ、ムリ」と笑顔で返答した。応援ありがとう。ものすごく元気が出ました。

 あと3km。ラップペースを確認する。キロ6分に近い。ズルズルとペースが落ちているのがわかったが、ただありのままを受け入れ、脚を前に出すこと以外何一つ出来なかった。
 次は大阪。そこで終盤の走りはきっちり決めよう。30kmまでは上出来だったじゃないか。そんなことを何度も反芻した。

 前を行くランナー、項垂れて路肩を歩くランナー、そして後ろからぼくを追い越すランナー、沿道からの様々な声援…。僕の足取りに合わせてゆっくりと風景が流れ、僕の呼吸だけが響く世界に僕はいる。ゴールの陸上競技場に近づくにつれ安堵が増す。あと少し、もう少し。

 ゴールはネットタイムで3時間36分。目標には届かなかったけれど、今の実力を出し切った結果だ。
 来年からは新しいコースに生まれ変わるようだが、このコースは僕にっとては忘れがたいコースだ。初フル、サブ4、それからサブ3.5。マラソンにまつわる様々な出来事が、想いが詰まったコース。そう思うと少し寂しい気もするが、いつか練習で走ってみるのも悪くないなぁ、などとやりもしない事を考えたりしてしまう。
 さぁ次は大阪、2度目の出走だ。力を出し切れるようコンディションを整えねば。

 ちなみに初フルの妻は4時間19分で完走。目標にはちょっと届かなかったけれど、上出来の結果だった。自分の初フルとは比較にならない内容で、末恐ろしさを感じてしまう。もう少し彼女の先生でありたいと願うばかりである。(了)

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