2013年10月31日木曜日

大阪マラソン2013

 北上する台風の影響を心配していたが、予定通り飛行機で大阪へ向かうことができた。
 3万人が出場する大阪マラソン。
 その言葉だけで心が沸き立つ。経験しなければその規模がどんなものなのか見当がつかない。
 当日。余裕を持ってスタートに立つ為に、早めの行動を心掛け午前7時過ぎにはスタートの大阪城に入る。

 想像をはるかに超える人の多さに圧倒される。大阪城へ向かう人々で、見たことのない長蛇の列ができていた。ぼくは道案内のパンフを片手に、手荷物を預けたり、着替えをしたりと、あれこれ用事を済ませ早速スタートブロックへ向かう。それでも時間はあっという間に過ぎ、スタート整列を促すアナウンスが流れる。スタートの45分前ぐらい前のことだった。

 スタートブロックはA〜Qまであり、ぼくはBグループ。大阪府庁前に設置されたスタートゲートはすぐ目の前だった。新潟シティの時より前方に位置していた。申し分なかった。周囲を気にしながらストレッチをする。ふとシューズに目が留まる。そして、ここで今季最大級の失態に気づく。
 (あれ…ない。チップが無い!やっちまったぁ)
 計測チップを装着し忘れていたのだ。

 前日の記憶がふと蘇る。受付の際に、渡された物の中から、ゼッケンとチップの入ったビニール袋だけがスルリと抜け落ちてしまい、ボランティアのスタッフに拾ってもらった一幕のことを。
「これがないと出走できひんよー」
 笑顔で手渡され、ぼくはお礼を言いながら、そそくさと受け取った。きっとあの時から暗示されていたのだ。スタート20分前。もう、どうすることもできない。
 (どうなるんだろう。完走証とかもらえないのかぁ?折角、大阪まで来たのにぃ…。)
 不安と焦燥。ぐるぐる何度も頭の中を巡る。悔やんでも悔やみきれない。チップを付けていない、お間抜けランナー。大勢のランナーの中で孤独感に苛まれる。

 大阪の空は晴れ渡っていた。ぼくは天を仰ぐ。青い空、白い雲。爆音をたてる報道のヘリコプター。深呼吸して思考を整理する。そして右手首につけた相棒のタイメックスを見つめた。
(時計はこいつを信頼するしかない)
(ゼッケンつけてるからなんとかなる、かな)
半笑いになった。なるようにしかならない。

 スタート10分前。90%ぐらい平常心を取り戻す。けれど、なるべく他のランナーのシューズに目を配らないように努めた。

 1分前。ぼくらランナーはゴールへ詰め寄るように何歩か前にで出る。
 カウントダウン。そして、号砲。ゲート周辺にドライアイスが勢いよく吹き出され群衆が拍手する。
 Bグループのぼくはすんなりゲートを通過した。ゲート通過まで概ね1分30秒ほどだったと思う。通過ポイントで時計の計測ボタンを押す。ぼくの大阪マラソンの幕開けだ。

 スタートは道なりに蛇行するコースで前を走るランナーの背中を追いかけるように走り出した。所々で幅員が狭くなり、その度にランナーの群れにブレーキがかかり歩様が乱れる。入りの1km通過は5分30秒。アップを兼ねる。
 ぼくは走りながら考える。そもそも、どうして大阪にエントリーしたのかを。何を目的としていたのだろうと。幾つかの想いが脳裏をかすめてゆく。
 突然、後ろから声をかけられる。
「新潟からですか?亀貝からきました。頑張りましょう!」
 また、しばらくして、
「新潟からですか?佐渡から来ました!!」
 今度は握手を求められる。
 ぼくのネイビーのランニングシャツの背中には「にいがた」と割と大きな平仮名でプリントされている。シャツのバックプリントは侮れない。このあと沿道からの声援をたくさんもらい、更にこの重要性を感じることになる。

 最初の5km通過は27分。イメージより1分ほど遅い。どうしようかと迷ったそのとき、ぼくの左をルフィ、そう、ワンピースのルフィの仮装をしたランナーが颯爽と追い越してゆく。
 ここでぼくの脳裏に閃く。
(ギアセカンド)
 ワンピースの主人公ルフィは奥歯のスイッチを押して、自らの能力を高めることができる。
これは天啓かもしれない。だから、ぼくも迷わずギアセカンド。もちろん、あのポーズを頭に思い浮かべながらペースアップする。
腰をより高く、股関節を意識して歩幅を広く、そして腕のふりも大きくとる。

 御堂筋は4車線と道が広く、どこまでも並木が連なるようで走っていて気分が良かった。都会を走るというのはまさにこれだ。淀屋橋を右折して、しばらく進むと10km地点。ここで50分。過去3度のフルでは経験したことのない通過時計だった。
(やり過ぎ、かな)
前半5kmが27分だけにややセーブする。

 レンガ造りの中央公会堂の建物が青空に映えて美しかった。そこでは学生応援団がランナーにエールを送っている。軽くクランンクした道沿いのチア達に連続タッチ。
「にいがたぁ、がんばりぃー」
黄色い声援はいくつになっても嬉しいものだ(笑)

 折り返し再び御堂筋。15km通過で75分。春の15kmの新潟ロードレース、惜しくも70分を切れなかったレースを想い出す。あの時は雨の中、苦しかった。その時と5分しか違わない。

 沿道から「カエルさんやぁー」とか「カエルー」とやたらに声が聞こえた。ぼくのすぐ右後ろに上半身ミドリのタイツのカエルの被り物をしたランナーがいた。彼は併走するランナー何かおしゃべりをしながら軽く走っている。
 「ルフィー!」 やや前方にあのルフィーもいた。5km付近でぼくを抜いたギアセカンドの彼だ。そして、少し先にはダイコンが走っている。緑の菜っ葉を頭に載せたダイコンの着ぐるみだ。ちなみにもう少し先にはナスの着ぐるみも確認できた。
 カエル、ルフィー、ダイコン、ナス、ドラえもん、マリオ、ルイージ、ジーンズ姿の普段着ランナー。
 分かり易いキャラクターは沿道からもウケがいい。優しい関西弁で、「カエルやー」とか「ダイコンさんー」とか呟きにも似た声援を耳にするとつい笑顔になってしまう。気が紛れる。

 なんばから京セラドームに向かう17km付近で一回目の補給を行う。先々週の新潟シティの経験を活かし早めにとる。
 大正橋を渡ると街並みはノスタルジックな町工場といった言葉が似合う風景に変わる。製造業の街、大坂の一面が垣間見える気がした。20km通過の時計は1時間40分。ちょうど5分ペースできていた。折り返して再び大正橋からなんばへ向かう。
沿道からは「にいがた、頑張れ!」とたびたび声援を受ける。右手でそれに答える。私設のミニエイドなどもポツポツ見える。

 なんばから通天閣そして大国(だいこく)へ。25km通過も計ったように2時間5分。この頃になると併走するランナーの顔ぶれが、だんだんと見覚えのある姿になっていく。京都鴨川の赤いTシャツの方とはずいぶんと長い時間を走ったはずだ。
 この辺りから少し苦しさを感じるようになる。ぼくは少しでもエネルギーを無駄に使わないように頭を固定するように視線を落として走った。2度目の補給タイミングを計りながらジェルを右手に準備した。相変わらず声援は途切れることがない。「にいがた」の声援に背中を押される。

 国道26号線は前表通り長い直線だった。
 西成区のあたりから一気に観衆が増える。「にいがたぁ!」の声援を浴びる。ハイタッチを求められる。盛り上がり方がハンパじゃない。陽も高くなり暑さを感じる。あのテンションで何時間もやっている方も大変なはずだ。大坂の下町で印象に残ったのはスーパー玉出の黄色い看板だった。あちこちにあった気がする。
 30km通過は2時間31分。あと12km。
 32km付近のエイドが賑やかだった。どんなものがあったか正確には覚えていない。、口にしたのは干し梅とパイナップル。らっきょう漬けを取りそこなった。酸味を味わえたのは精神的に効果は大きいと思う。元気になれそうな心持ちになる。そして沿道からはつかさずアドバイス声援が聞こえる。
 「ペースを守れ、残り10km!!」
間違いない。ぼくは頷きながら脚を運んだ。

 住之江公園を過ぎるとモノレールの高架橋の下がコースになる。片道2車線道の左側では歩いたり屈伸するランナーの割合が確実に多くなる。補給エイドもランナーが群がり混雑しているのでパスをした。ぼくは高架のおかげで日陰になっている歩道側を進む。時より吹いてくる風が心地よかった。
 「苦しいのは気のせいだ」と書いてあるプラカードを発見。通りがかりに看板を指差して「その通り!」と言って通り過ぎる。常套句ではあるが好きな言葉だ。彼らは笑って声援を送ってくれた。
(このままいけそうだ)
新潟のときのようなスタミナ切れは起こさない気がした。そして自己ベストの可能性を意識したのもこの辺りだった。

 35km地点で2時間58分。確実にペースは落ちていた。左の脹脛がピクピクし始めた。また同じく左の親指が痛んだ。拇指よりに着地するよう意識する。そうこうしているうちに目の前にはコースの難所、南港大橋が現れる。平坦コースに突如現れる登坂だ。彩り豊かなたくさんのランナーが坂を登っていくさまは不思議な風景だった。
 坂は得意だと言い聞かせながら頂点を目指す。しっかり一歩づつ登る。登坂の途中「にいがたぁ、がんばれぇ!」の声援に右手で答える。どこからか音楽が聞こえ気が紛れる。左の脹脛がピクピクするのを気にしながら踏み上がる。
 下り坂は登りのロスを相殺するつもりで傾斜に身を預ける。「やまびこ通り」の坂に似ていると思った。息切れそうになったけれど、並走するランナー達のお陰で駆け切ることができた。

 交差点を右折。港湾らしい風景が広がる。積まれた鮮やかな色のコンテナ、JFEスチールのヤード。いつもならひと気のほとんどないと思われる歩道には、ランナーに惜しみない声援を送る人々がいる。
 残り3km。最後の給水ポイント。こまめにエイドがあるというのは本当に有難い。
 ラスト2km。沿道の人が一層濃くなり、幾重にも列になって声援を送る。ぼくはできる限りペースを落とさないように進む。いつもの練習コースで2kmを想像してみるが、まだ油断できない距離だ。
 残り1km。ゴールは見えない。周囲のランナーのペースが上がる。歩いてゴールを目指すランナーもいる。30分台でゴール出来るか時計を確認する。ギリギリだった。ゴールが見えるまではペースをキープする。
 左折。フィニッシュゲートが見えてもいいはずだった。けれど道がクランクしていて目視できない。時計を見る。30分台はいけそうだった。
そして遂に見えた。フィニッシュゲートだ。
ぼくはサングラスとキャップを外し、思い切りゲートに駆ける。
ゴール。ネットで3時間39分25秒。自己ベストだった。

 右手に持ったサングラスをかけ直し、通過したフィニッシュゲートに軽く一礼をした。涙腺が緩み、もう少しで涙が出そうになった。
踵を返しフィニッシャーの姿を撮影するカメラマンに右の拳を挙げて見せた。ぼくの大阪マラソンが終わった。


10/31までのラン・・・219km

1 件のコメント:

フェマン さんのコメント...

ベストタイムおめでとうございます!
情景が手に取るように伝わって来ます。
記録を更新した瞬間はやはり最高な気持ちになりますよね。
これからの活躍も期待していますね~(^^)